8日に発表しました。全文は、
日本共産党は、まだまだ、少数派です。
世論調査での支持率もまだ高くはありません。
しかし、未来社会を展望し、コツコツと世論を作る、変える地道な活動を
続け、社会の前進に寄与していくことが党員の喜びです。
私は奄美大島出身。
奄美大島は選挙で日本共産党の支持が極めて低い保守的な島ですが、
我が家は政治的空気、活動のない家庭だった。
島全体が、自民党の徳田派か、保岡派か、そのどちらかかではあったと思う。
選挙活動するわけではなかったので、選挙の時、棄権はしない派レベル。
農民や漁師には、政治は遠い話だし。
私が日本共産党の候補者になったとき、
両親はびっくりしていたが、反対もしなかった。
「なにも、みんなが嫌う共産党に、あなたがならなくても」と1回ぼそっと言ったけど。
あなたが選んだ人生だから、と積極的に評価することもなかったし、否定もしなかった。
いつかは、両親も、きっとわかってくれると、私は自分の人生の選択は自分が責任を持つ、との思いで目の前の自分の活動をしながら、苦労と喜びを重ねていった。
母は、選挙時には、我が家の家族、家庭の応援にきてくれていた。
そのうちに「しんぶん赤旗」を進めたら読んでくれることになり、
「島の人は何故共産党を好きではないのだろう、
主張していることはもっともなのに。
本当に正しいのに。
勉強不足だろう思う。
テレビだけでは、本当のことはわからないのに・・」。と
フーム、人は変わるんだな、
いくつにのなっても、変われるだな、、と感動したことを思い出す。
いつもニコニコしていた母、周りに愛を注ぎ、周りに愛されていた母
まめまめしい母の姿が、私の目指したいおばあちゃん像でもあることに気が付いた。
来年春の選挙のポスター用写真が、88歳のお祝いの時の母にそっくりなのに、自分自身驚いてたら、妹たちにも、おかんさんにそっくりと言われてしまった!
ん!私、もっと若いつもりだったのに、これは、少々ショック!
でも、ま、いいか! ありのままだし・・・
朝5時半に目が覚めるので、電話も来ないし、今日の総務委員会準備は出来きたし・・。
家族はまだ寝ているし、朝の静かな時間、
1日を「感謝」を込めてスタートする。
緊張の日々、
まだつづくけれど。