今日は朝日新聞。天声人語 欄
論者は、オリンピック委員会やバッハ会長の言動や、コロカの急拡大が広がる中での開催、人工雪の今回の中国オリンピックや、バッハ会長の銅像を中国が建てるとか・・疑問や批判を述べ・・
「五輪事態の持続可能性に疑問を感じた」と。
「いっそ、五輪はギリシャだけで開くという案もある。」と。
私は、これまでなんとなしに、「国威高揚」のためのオリンピック、メダルが何個だの強調に違和感を覚えていました。オリンピックでアスリートの究極的な技、限界に挑む精神力などに感動してきましたが、
このところの東京、北京は、「なんかな・・・・」
気持ちが素直に入っていかない。
アスリートの皆さんには、素直に、リスペクトの気持ちは起きますが、
「なんかな・・・」
そもそも開催国の問題
世界各国からのオリンピック関係者の受け入れ、会場、交通、など国を挙げて、
膨大な経費かけて、終われば、これらがどのような活用されるのか・・・
際立って、コロナのなかで使い道が重荷になる、
以前から私は、いっそのこと、というより、ギリシャでやればいいのでは、と思っていました。個人レベルの技を極める、競いあうことに集中できるのでは・・・と
国のために、メダルを多くとりたいの気持ちが気になっていました。
膨大な費用は今や、地球温暖化、自然災害、パンデミックに、世界が国を超えて連携し、人類の存続、持続可能性に向かうべき時ではないか、と思う。
オリンピックの魅力は否定するものではありませんが、毎回ギリシャで開催すれば、の思いがますます強くなりました。
今日は雨。
雨の日は雨の日で,うれしい。
昨日は、先日相談された方からの喜ばしい結果報告の電話があり、嬉しい気持ちで満たされました。彼女の過酷な人生の経験を糧にしながら、前を向いて生きていこうという強い気持ちが伝わってきます。
私への感謝を述べてくれましたが、私は何も具体的な動きをしたわけではありません。
彼女が話ししたいいことをただただ、じっくりと聞いて、不安な心持にあることに
思いをはせ、うんうんと聞いていました。
残念な結果がでたら、動き出しましょう、とつたえたら、よい結果だったということ。
自分で切り開いたのです。でも感謝の電話をいただきました。
人と人との出会い、
私の方が励まされ、感動することがあります。
みんな精一杯生きている。