議員になってから、1月がいつの間にか、去ってしまう、感覚がいつも生じる。
1日1日を精一杯過ごし、気が付くと、1月が終わる、消える、去る。
1月中の活動目標があり、その達成は確かに、努力の結果であり、充足感はあるけれど、
1月が何故あっという間に去ったの?という感覚は何故か、残る。
でも、ま、いいか!
現役ならではだし・・・。
経済社会では、出自の差があり、格差があり、体格や能力や美醜など、様々な差がある。
個性、能力も違いがある。
他者との比較で劣等感や優越感などが生まれたりするものだけれど、
唯一、差がないのが、「時間」「死」。
人生に終わりがある、ということ。
私は無信仰の人なので、神、仏、の世界には入りきれないけれど、
父や母や兄やいとことのお別れや、親戚だけでない、友人、知人とのお別れ・・
必ず、いつかくる「お別れ」。
有限の人生、
それは私自身もそうなんだ、といやおうなく、思う。
1日を精一杯生きた1日の終わりには、
ケセラセラ、明日は明日の風が吹く、、とか思うたちだったけれど
明日の1日は明日の私がきめるのだから、明日、また精一杯生きた、と思えますように。
1日1日を重ねれば、1年1年になり、
そして、最後の時となるのだろう。
一人ひとりには、人生のドラマがあり、苦難の時も、
幸福の絶頂の時もあり、孤独の時も、愛に満たされた時もある。
どんな時も、「去り行く」「時」。
1月の最終日にはいつも秋の日の感じのように、センチメンタルになる。
たくさんの人と出会い、別れがある。
でも私は一人で私の人生を歩む。