母のいない、「お盆」。昨年11月に急逝。
家族で、「新盆」を、迎えました。
「お盆」というと、母と「迎え火」たいて、キュウリのお馬、なすのお馬。
あとは、のんびり、おしゃべり、母がみんなが食べてくれるのを楽しみに
揃えた料理を、ぱくつく・・・
だらだら過ごす「お盆」でした。
祖父母、兄、父、そして、今年は「にっこり笑った母」。
姪っ子がたくさんの母の動画を見せてくれました。
去年、たった、去年。
あんなに、元気だったじゃない!
あんなに、うれしそうじゃない!
何故、突然、私たちから去っていく!
89歳の母はいつも、「ピンピンコロリ」と去っていきたい、と言っていました。
と、その通り、倒れて1週間で、亡くなってしまいました。
大好きな父、親友のいる「あの世」に・・・
先日母の月命日で、お墓参りに一人で、向かっていた時、
いつも母を載せて、お墓にいっていたのに・・・・と
涙があふれ、車を止めて、じっと・・・。
11月になくなり、4月に選挙で、悲しみに浸ることができなかった。
喪失感、二度と会えない、声が聞けない・・・・
「時が止まる」
「自分を見失いそうになる」
今年になって兄と妹が次々と「手術」
回復して職場復帰もしていますが、
もう年齢的には、限りない未来が開けているわけではないな・・と。
自分にとって、
大好きな人、大好きな時、
失いたくないもの、、もある程度見えてきた。
大事に、大切に、「時間」をおくりたい。
今日8月10日の朝日新聞1面「折々の言葉」で、
「ひと言でいうと、癒されたくないんです」(柳 美里)
「悲しみは時が癒してくれる」ということは悲しみを蔑ろにしている。悲しみは埋まらないとその後もない」と。「沈黙の作法」から。
母のいない、母の部屋は、
「だらだら」「のんびり・・・」の空間ではなくなった!
母が大好きだった、母と何度もいった、相模原の温泉「湯楽の里」に行きました。