2017/08/15

終戦記念日、そして、叔母のこと

私は、戦争体験はない

 「戦争」は、「活字・写真」や「戦争体験者の言葉」から追体験をしてきた。
でも、きっと、本当の体験とは全く違うだろう、と自覚をもって読む、聞く、見る。

 現実世界に起きている紛争、戦争。
「戦争をする普通の国」をめざす自公政権の政府のきな臭い動き。

 日本が72年間「戦争しない」国であったことは、「戦争」への日本国民の被害、加害の傷が大きかったこと、「日本国憲法」を日本国民が守り抜いてきたからこそ。

いのちの「尊さ」をお葬式の時感じる。
 お葬式に参列する機会が多いのですが、
その時感じるのは、
個人の「いのち」の尊さ、家族、親族、友人にとって、
一人の存在、いのちがこの世にはもう存在しなくなることの悲しさ・・
お別れがこんなにつらいのに、
「戦争」は「国家の大義名分」のために、いとも
軽く、大量に国民のいのちを奪う、

 決して繰り返させない、
「戦争への道」
終戦記念日は戦争犠牲者への哀悼と不戦の決意を固める日。

 そして、戦争は身近な人の決して癒えることのない、悲しみを
思い出させる日。

 身近な人の体験談を忘れることができない。
空襲に会い、一緒に逃げていた恋人が直撃弾で、むごい姿に。
しかし、それを助けることもできずに、逃げなければならなかった、
恐怖と悲しみと・・・
こんな体験は、日常は記憶のかなたであっても、
時にふっとよみがえり、いたたまれない思いに・・

身近な人の戦争体験は
不戦、戦争に加担しない日本を!
の思いを強くする

戦争をしなかった日本を誇りに思い、
戦争へ向かおうとする日本を拒否し、
戦争のない世界、核兵器のない世界へむけ自分のいのちを生かす。

有限の人生
自分がどの立場、陣営にたって、
生きていくのか、
いのちのバトンをつなぐ存在として、感謝と決意を。