2017/07/24

津久井やまゆり園事件追悼式

 相模大野のグリーンホールで津久井やまゆり園事件追悼式が行われました。共産党議員団も全員参加、献花しました。

2016年7月26日、19人の障がい者を殺害するという凄惨な事件に世界は凍り付きました。「優生思想」に基づく、ものと言われています。
 犯人は計画的に冷静に選別して、単独で短時間のうちに大量殺人を予告した通りに行ったこと、地元に住んでいた山ゆり園の元職員だったこと・・・・不可解で、気味の悪い思いが払しょくできないまま、1年がたってしまいました。


 首相の追悼のことばを代読をした厚生大臣他国会議員、県知事、加山市長他
県内首長、県議、市議、やまゆり園長、かながわ共同会理事長、家族会のみなさん等
ホールを埋め尽くす人、人、人。

やまゆり園園長の涙ながらの、「守れなくて、ごめんなさい」と許しを請うような言葉は園長だけでなく、職員、そして社会全体の思いでなければならない。

 障がいの軽重に関わらず、人として生まれた、いのちの重さに差別があってはならない、この当然なことをこういう形で私たちは突きつけられている。
 この事件から社会は変わっただろうか
「優生思想」は根絶されただろうか。

 式辞、追悼の辞では、すべての方が「二度とあってはならない」と述べました。しかし、
障がい者の差別解消、個性能力の開花のために、なにがどう変わっただろうか。
 深く沈んでいくような思いにとらわれます。

 県知事が「ともに生きる かながわ憲章」を朗読しました。

 一 私たちは、あたたかい心をもって、
    すべての人のいのちを大切にします

 一 私たちは、誰もがその人らしく
    暮らすことのできる地域社会を実現します

 一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げる
    あらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します

 一 私たちは、この憲章の実現に向けて、
   県民ぐるみで取り組みます

        平成28年10月14日 神奈川県


人間の尊厳は「人間の良心」、人間性を奪うものへの警戒、なくしては、
守れない。

 今、国の方向は、戦争法、共謀罪、秘密保護法・・・これらが向かう方向は、「ともに生きる」とか、「いのちの尊さ」とか、「自分らしく」とかと対極にある国づくり、なのではないだろうか。
国が「いのち」を「尊厳」を軽んじる方向、奪う方向に進もうとしていることに危機感を覚えます。

 もう一つ、違和感が残ったのが、県知事も園長も亡くなった方がたを「あなた」と呼んだことです。
個人の尊厳を表す、「名前」では呼ばれませんでした。
これにもいろんな議論があります。
複雑な思いが交錯します。

そして、「県民総ぐるみで取り組みます」というけれど、
国、県、市行政はまさに、福祉社会を構築していく最も重大な責務を負っているはずです。第一義的責務です。

 「県民総ぐるみ」などと言われると、侵略戦争に対する国民総ざんげのときと同じような
 なんとはなしに、落ち着かない、違和感を感じます。

 ともに、支え合う、とか、違いを認めるとか、県民一人ひとりのレベルでの姿勢は当然問われますが、今回の事件の、「差別思想」「優生思想」の根底になにがあるのか、何故、こんな思いが起きたのか、何故、予告していたのに、周りにほのめかしていたのに、現実に実行することが止められなかったのだろうか

 この根底的問題を掘り起こしていくこと、そのことから、こうした「優生思想」を絶対に受け入れない社会全体の在り方へとしていくことが真の「二度と繰り返さない」ことに繋がるのではないか、と考えます。

 一人ひとりの心の奥底から「いのちの平等」へのゆるぎない思いが培っていくために
教育、福祉、行政の大きな役割、責務はあいまいにされてはならないと考えます。
 私は私のできるかぎりのことで、力を尽くしていきたい。


 合掌。