2000万人署名のお願いにいくのですが、対話のなかにドラマが。
「今日が私の誕生日なんです。友人たちに私から、毎年プレゼントしているのよ。どうぞ」と可愛いチョコ入りの手編みクリスマスの靴下をいただきました。86歳近くだったと思いますが、あたたかい気持ちになります。
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靴下です。チョコ入ってます |
上溝地域での「クリスマス会」は、久しぶりに子供に帰ったような、わくわく感のある集いでした。部屋のデコレーション、そして、みんなで、「トナカイ」さんやサンタさんの帽子、をかぶります。私にも「はい、どうぞ」ということですので、可愛いく?赤い帽子を。
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帽子が半分しか映っていないけど、はい、チーズ |
そしてクリスマスソング。「真っ赤なお鼻の・・・」ではなく、「ホワイトクリスマス」や懐かしい、昔、じっと聞いていたようなソング。(あれ、もう忘れちゃったな?)
そして、美味しい、美味しい手料理の数々がテーブルいっぱいに!
腹ペコさんの私は、「美味しい、美味しい」とペロリ。
80代、70代、60代の集まりに40代の方が参加し、その方の発想でのクリスマス会とか。
若い人の発想を尊重し、場をつくり盛り上がっている様子に感動!
「時」を楽しむ、大事にする、それも友人達と。
いいね!
4時ごろから、今度は、小山地域へ。
同行の方が「友人」宅へ行きたい、とのことで、訪問。
奥様が見えて、戦争に関するお父さんの話を。
その方のお父さんは将校候補。その5人で軍事訓練中に重大な事故に
あい、前線に向かえなくなった。4人の将校候補の同期達は爆撃を受けみな亡くなった。
残された自分、申し訳ないの思いにさいなまれていた、と。
そして、脳腫瘍で病に伏しているとき、「赤紙が来る」とうなされ、おびえていた」と。 子供のぬいぐるみに対しても、玄関に赤紙と届ける人では、といつもおびえていた。と。学者研究者の父にとっては、赤紙は恐怖だった、戦争前線にいかされることは恐怖だった、と。
私には、今なにもできません。
できるだけのことで協力します、と署名をしてくれました。
一人ひとりに戦争は消え去ることのない、暗い、重い、苦しみを
与え続けた。まるで、放射能が消えることなく、毒を発し続けるように。
雨のなか、少し暗くなるなか、最後の方の言葉がずしりと
心に残りました。