昨夜は「松永レポート12月号」作りで就寝が遅くなりましたが、
今日も地域を回りました。
宮下本町1丁目を回りましたが、あの8月24日の相模総合補給廠の爆発火災について、伺うと、この地域一帯、当時、「音、震度」がなかった、気が付かなかった、ということで、驚きでした。
風向きや角度?等で、基地近隣でも影響がない、ということがあるんですね。
田名地域でも音などで驚いた人の声もありましたし、南区でも同じように、
気が付いた方がいるようですが、距離的な違いではないようです。
今日も何人かとお話ししましたが、大変印象に残ったのが、「戦争体験」の話です。
初めて聞く話です。
70代後半の女性。
夫さんの戦争体験の話だけど、と。
疎開先でのこと。
夫さんも、奥さんも東京の人で、東京空襲も受けた方です。
夫さんは疎開していましたが、東京第空襲にあった両親がいつまでたっても疎開先に迎えに来ない。
同じように疎開している友人たちが、次々と迎えに来て、帰っていくのに、
自分だけが取り残される、どうしてお父さん、お母さんが迎えに来ない?
そのとき、両親は大空襲にあって、息子を迎えに行けなかったのですが、
子供ごころには、親の状況は察することもできず、いつまでも一人取り残されている、そのときの心境は、深く傷つき、トラウマとして、残った、と。
夫さんが亡くなられ、自分は、今、やっと、夫さんの無念、心の傷を理解できるようになった、どうして、わかってあげられなかったのか、申し訳ない気持でいっぱい、と・・・・。
戦争の傷跡は,何年たっても、癒せるものではないいんだな・・・・と。
なんとむごいものなのでしょうか
時代の空気は、なんともいやな感じですが、「ノー」とはっきり自覚する国民もいること、
戦争で死なない、戦争に加担しない、
私も、子供たちも、孫たちも、誰も・・・・・・
この人の思い、しっかりと受け止め、引き継いでいこうと思いました。
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私的には、この手、好きです。 |
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市役所駐車場で展示即売、シクラメン、満開旬の花 1万円もするんです。すごいですね。 |