2015/07/16

奇跡が起きた! 母の愛

今日は盛りだくさん、ドラマ満載の1日でした。
まず、朝一番

 突然、アポント無しの市民の生活相談が。
急な訪問は、本人が意を決して、思い切って相談に来る、という心持ちの場合
が多いので、時間確保のうえでは、優先

案の上、お母さん、エプロンしたまま。
市役所議員控え室にエプロン?
とは、思いましたが 、よほど突然で、緊張されておられるのかも。

ぽつりぽつりと。
重度障がいの息子さんの生い立ちから、学童期、青年期、今の二人の生活について
話す、話す、延々と。時々合いの手を入れながら聞く、聞く、聞く。


相談内容そのものは生活困窮。
重度の障がいの息子を抱え、生活のため、息子が寝ている夜12時から朝5時位までの仕事を
長年ずっと必死で働いてきた。
しかし、自分にがんが見つかり、
仕事も辞め、二人の年金ではもはや暮らしていけない。
貯金も底をついてきた。
自分のがんの検査、治療費など考えると、一度は取り下げた生活保護を
受けたい、と。

この方のお年を聞いたら、??
昭和20年生まれだと。自分の年、意識することもなく、1日1日をただ、息子の
事を思い日を重ねてきたのかも。あるいは、緊張のあまり、年忘れた?。

急を要すると判断し、明日福祉事務所への申請 に同行することを約束。

で、「奇跡」の話が感動的なのです。

息子さんは、生まれてから、重度の障がいがあり、医者からは
5感はだめ、でしょう、と。
一生なおることはないでしょう、と。
でも、できるだけ、「外の刺激」をあたえたら、いつの日か変化があるかもしれない、と。

お母さんは、
5感のない息子を、外に最大限連れ出した。
なんの反応もない息子だけど、
ほとんど寝ているような感じにしか見えない息子を。

事情を知らない、知り合いは、いつもぐっすり寝ているね、って。
お母さんはあせらない、あきない、そして、あきらめない、
この3つの言葉を心の頼りにして、
決して悲観的ではなく、1日1日に感謝しながら、
日を重ねてきた。

国道の近くに住んでいたとき、
ベビカーに乗せ散歩に行ったときのこと、
いつもなんの変化も見せない息子が
ダンプカー3台が通過したときに、
「顔を赤くした! 」と。

ダンプの走行後の風圧を感じたのかもしれない、
「感じた」から!
これまで、全く無反応に見えていたけれど、 「感じる」力がすこしづつ育ったのかも?

それからも、お母さんは、医者の言葉を守って、信じて、
息子が反応があろうが、なかろうが、せっせ、せっせと外の刺激を与えるために
感じさせるために、外出へ、散歩へ

そして、歩行は不可能だと思われていたのに、
ゆっくり、バランスをとりながらも、歩けるように!
医者は「奇跡だ」と。

そして、小学校の普通学級へ
お母さんはみんなに迷惑を掛ける、申し訳ない、辞退しようと思ったけれど、
就学前相談の結果にもとづき、
校長先生が「待っていますね」
って言ってくれた、
普通教室の担任の先生も、素晴らしい方だった。
 1ヶ月、ずっと学校に自分も通って、廊下から、多動性の息子が外に飛び出そうと
するとき、優しく、だめだよ、みんなと一緒にお勉強しなきゃね、
と一言声を掛ける

でも自分も疲れてきて、みんなにも迷惑を掛けるから、申し訳ないから、
もう息子を通わせない、と先生に相談したら、

「お母さん、
大丈夫ですから、
任せて下さい」と。
どんなに嬉しかったことか、

クラスメートもとても大切に、丁寧に接してくれたと。
000くんがいてくれて良かった、と。こんなことができるようになったんだよ、すごいね、
とか、障がいのある クラスメートに寄り添って、成長している姿に感謝しているのです。
お母さん、私に過去のことを思い出し、涙しながら話すのです。

母の愛は「奇跡」を生む。

お母さん、ご本人も小さい時にお母さんを亡くし、父親だけに育てられてきた、
貧しいなかでも生活保護受けずに頑張っていた父。
だから、私も必死で頑張らなければ、
でも自分は仕事もやめ、年金は少なく、病気になった・・・・

回りの人から相談に行ったら?と言われ
思い切って来た。(だから、エプロンのまま?)

目の前の70歳のお母さん、苦労してきた方なのに、
なんとも、
素敵な人だろう。

日本の福祉制度はあまりに不十分です。
諸諸のハードルの前で、はじかれ、
最低限の生活への道へも行けない人がいます。
誰もが人間らしく怒られること、人生を豊かに過ごせること、
それを保障するのが「社会保障制度」です。

息子さんとお母さんが安心して生活できますように、
私に出来ることを・・・